Culture First って要はクリエイターを使い捨てたいわけですよね?
私的録音録画小委員会が経過報告、権利者側からは早期決着求める声という記事が出ていたので、目に余るところにだけ反応します。
インターネットで著作物の二次利用を促進させるという考えについて三田氏は、文化の保護が不可欠だと指摘する。「インターネットの発達によって、著作物の二次利用が盛んになりつつあるが、我々が文化を享受できる時間は限られている。インターネットで過去の映画やテレビ番組を見られれば、今創られている芸術を楽しむ時間が少なくなる。これは、現行のクリエイターに大変重要な影響が出てくる。著作物の二次利用の促進は、ネット業者とネット機器のメーカーが主導で動いていて、文化を創っている人がなおざりにされる傾向がある。我々は、まずは文化ありきという『Culture First』を掲げているが、文化や芸術がなければコンピュータもテレビもタダの箱。文化を大事にするのは、(二次利用を促進する)経済産業省よりも文化庁にがんばってもらいたい」。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/01/30/18292.html
文化や芸術もまた楽しむ人がいなければ何の価値も生み出しません。以前書いたエントリを反論とすることにします。
それは、コンテンツというものは、基本的に半完成状態で提供されているということです。もちろん、ごく一部の優れたコンテンツはそれだけで完成品*2でしょう。でも、多くのコンテンツは、ユーザー側が「何か」をしないと面白くはならないのです。
スポーツ観戦なら「応援という行為」かもしれません。歌なら「カラオケで歌うこと」かもしれません。エヴァやひぐらしはそれだけで優れたコンテンツですが、「その謎について考えたり話し合ったりすること」によって面白さが増幅されます。ニコニコ動画が現れる以前から、ユーザー側が「何か」をすること(≒広い意味ではコンテンツの作成に参加すること)によってコンテンツは消費されてきました。
コンテンツの消費は参加と表裏の関係にあるといってもよいでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/akasata/20071120/1195494894
権利者たちはコンテンツの消費方法の変化が起きていることを認識すべきでしょう。コンテンツは消費するだけのものという認識があるのでしょうが、今はコンテンツは参加するものです。「コンテンツの楽しさ」はクリエイターだけが生み出すのではなく、ユーザーも一緒になって探していくものなのです。
また、権利者の一連の発言は、「コンテンツの使い捨て」を目指したものです。コンテンツを使い捨ててくれないと、新たな消費が生まれずクリエイターが経済的不利益を被るというわけです。これにも反論はあります。たとえば、過去の作品をたくさん漁ることでオタク(=沢山お金を払ってくれる優良顧客*1)は生まれていくものですが、そうしたオタクを増やすきっかけを失うことになります。そうなれば売り上げも減少するでしょうから本末転倒です。
そうなれば、金銭的にも文化的にもコンテンツの使い捨てはむしろクリエイターの使い捨てにつながっていくことが予想されます。
解決したい問題を忘れてはいけません。解決したい問題は「クリエイターにお金が回らない」ということです。「既存の枠組みを残す」ことではありません。というか、既存の枠組みでもお金が回らないことは証明されてしまっているわけだから、既存の枠組みを維持することに意味はさしてありません。
要は作品がより容易に流通して、クリエイターがより儲かって評価を受けられて、ユーザーが楽しむのに邪魔の入らない枠組み作りを始めませんかってことです。
*1:私は概算で年に漫画 300 冊、専門書を除いた本 100 冊くらい新刊で買う出版業界から見ると有料顧客www。積読もするし。音楽にもお金を使うけど、自分の演奏に関連する費用がメインでコンテンツはそれほど買ってないので、優良顧客ではないです。映像にはほとんどお金を落としません。ライトユーザーなんていくらいたってたいしてお金にはならんのです。