平凡なエンジニアの独り言 はてなブログ出張所

ピアノをこよなく愛するエセRubyistが適当に書き綴ります

10年遅れくらいの感想になっちゃうけど、Vector的フリーソフトの時代が終わって、ニコニコ動画的コンテンツ共有が始まっているんだなぁ

フリーソフトRPGをふりかえる(前) - esu-kei_textを読んで、懐かしさと同時に、フリーゲームというなかなか楽しかった一ジャンルの中でも、一定の勢力を誇ったツクール系フリーゲームも総括が出されるようになったんだなと感じました。

私にとってツクールと言えばRPGツクールで、RPGツクールと言えば、1992年に発売されたDante98でした。名作もたくさんありましたが、マインドシェアの大半を占めている作品はダークフォースでした。

RPGツクールのゲームは、今のようにインターネットは一般的ではありませんでしたから、TAKERUという謎のソフトウェア自販機で買うものでした。ダークフォースもそうやって買った記憶があります。1500円くらいだったか・・・中学生の私には高かったなぁ。そういうゲームの発表する先は、ログインのような雑誌でした。今思えば、何かを出すにはえらくややこしい(コンテストに投稿するとか)手順を踏まないといけない時代だったんだなぁ・・・と思います。

1995年にインターネット元年を迎えて、ホームページでソフトが公開できるようになっても、しばらくの間は、RPGツクールのゲームは、雑誌主導でした。ソフコンという雑誌があって、コンテスト的なことをやってて、入賞作品の入ったCDがついてきてゲームが遊べるという感じです。RPGツクールのWindows進出が遅くなってインターネットで配布することがすぐにあたりまえにはならなかったし、PC98が割と現役だったことも理由に挙げられるかもしれません。

フロッピーの時代は、2枚でDante98作品一つですから、雑誌の付録にすることは難しかったと思います。CDが普及して、雑誌の付録に100本とかゲームをつけられるようになったことは見逃せません。また、雑誌が面白かったから、ソフコン主導のRPGツクールの時代は、ツクール使いにとって最良の時代の一つだったと感じている人もいるのではないでしょうか。

1997年くらいから2005年くらいだと思いますが、ツクール系でもホームページでゲームを作ったり、公開したりするのがあたりまえになってきたようです。この時期は、まず雑誌主導の終焉(ソフコンは1997年に休刊)、次にコンテスト主導の終焉(Aコンは確か2002年くらいまで)、徐々にユーザーによる紹介サイトや評価サイトの充実による・・・つまり、今のUGC的なものが立ち上がってきた時期です。

この辺の時期のツクール系の動向は、id:esu-keiさんが詳述してくださっているので、私の方は少し脱線したいと思います。

私がこの時期やっていたことは、Rmakeというソフトの開発でした。最近公開したウェブサービス版ではなく、Windows上で動作するゲーム作成ツールです。これがまた、開発をはじめては私のモチベーションが尽きて開発休止になるという・・・自分で言うのもなんですがトンデモなソフトでした。

Vectorに公開して、自分のホームページで反響を見ながら開発を進め、窓の杜とかで取り上げられると凄く喜ぶ・・・そんな時代でした。Vector的フリーソフトが流行っていた時代は、私の愛用ツールDelphi*1にとっても良い時代でした。

さて、そんなVectorな時代もニコニコ動画の登場(ニコニコ動画、pixivは2007年開始)とともに(本当はその少し前から)過去のものとなりつつあります。

今、id:esu-keiさんの書かれているとおり、若者のコンテンツ創作の中心はゲームから動画作成に移っています。ある種のアマチュアのコンテンツ創作には、場というものがとても重要です。雑誌とコンテストの時代、ホームページとVectorの時代、これらを担ってきた「場」は、今はニコニコ動画に取って代わられようとしています。

この時代をなんと名付ければいいのか・・・ニコニコ動画の時代とでも勝手に呼ぶことにしましょう。今、ニコニコ動画には、アマチュアクリエイター達の協業、発表の場、ファンからの声援、ツール、その先の大いなる未来、ついでにさまざまなゴシップの全てが揃っています。

さて、フリーゲームを生き返らせることはできないのでしょうか。そんなことはありません。時代に合わせた場を準備すればいいのです。それはどのようなものなのでしょうか。

長くなってきた(眠くなってきた)ので、続きます。

*1:プログラミング環境の一つ。