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平凡なエンジニアの独り言 はてなブログ出張所

ピアノをこよなく愛するエセRubyistが適当に書き綴ります

閲覧権、DMCA、著作権の非親告罪化の合わせ技で、gnu の自由をすべてつぶしてやるぜ!

id:fuktommy さんが私のエントリのブクマコメントに書いてくださった内容に反応します。

閲覧権ってhttp://www.gnu.org/philosophy/free-sw.ja.html の「第0の自由」みたいなものなのかなあ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/akasata/20071207/1197001249

gnu における「フリーソフトウェアの自由(以下、gnu の自由と呼びます)」は以下のとおりです。(http://www.gnu.org/philosophy/free-sw.ja.html から抜粋。)

  • 目的を問わず、プログラムを実行する自由 (第 0 の自由)。
  • プログラムがどのように動作しているか研究し、そのプログラムに あなたの必要に応じて修正を加え、採り入れる自由 (第 1 の自由)。 ソースコードが入手可能であることはこの前提条件となります。
  • 身近な人を助けられるよう、コピーを再頒布する自由 (第 2 の自由)。
  • プログラムを改良し、コミュニティ全体がその恩恵を受けられるよう あなたの改良点を公衆に発表する自由 (第 3 の自由)。 ソースコードが入手可能であることはここでも前提条件となります。
http://www.gnu.org/philosophy/free-sw.ja.html

この自由をソフトウェアからコンテンツに置き換えて、閲覧権と、米国の競争力強化の土台となったと主張される DMCA*1 と、著作権の非親告罪化の合わせ技ですべて潰してごらんにいれましょう。

「第 0 の自由」。閲覧権が成立すれば、権利者の許可なくこれを行うことはできません。

「第 1 の自由」。著作人格権とかの問題があるので、もともとこの部分は NG です。保護技術が進歩すれば、動画編集ソフトなども対応せざるを得ず、そもそも編集をできなくなるかもしれませんね。ニコニコ動画の MAD のようなものは全滅しそうです。

「第 2 の自由」。超流通の世界では、再配布はできると思います。問題は受け取った人が、閲覧権を得ないとコンテンツの閲覧ができないわけですから、事実上、この自由は存在しません。

「第 3 の自由」。この自由は、第 1 の自由と同じ事情ですが、DMCA が成立すれば、保護技術を回避する技術を開発・発表した人を逮捕することができます。

そして、著作権の非親告罪化が成立すれば、これらを取り締まる人が現れます。保護期間の延長などされようものなら、あるコンテンツに対するこの不自由は、さらに長く続くことになります。保護技術が進歩すれば、永久に続くのかもしれませんね。

なぜ gnu の自由を取り上げたのか?

とはいえ、なぜ gnu を取り上げたのか説明しなくてはなりません。本来、ソフトウェアとコンテンツは異なるものです。同じまな板の上に載せて議論しても意味がありません。でも、本当にソフトウェアとコンテンツは異なるのでしょうか?

ニコニコ動画以前からあった現象ですが、私が意識し始めたのはニコニコ動画から*2なので、ニコニコ動画の話をしましょう。ニコニコ動画では、「黙認されている」という背景から、上記のすべての自由が実現されています。そのため、人の作ったネタにただ乗りしてひとネタを加えるだけで、膨大な数のコンテンツが生み出され、ユーザーによってものすごい勢いで消費されています。ニコニコ動画のサイト滞在時間は異常に長く、それだけ価値のあるサイトになっていることがうかがえます。

つまり、ニコニコ動画上では、「コンテンツの世界にもしも gnu が存在していたら」という実験がなされていることになります。そして、それは途方もないコンテンツの供給を引き起こしていることになります。もしニコニコ上でマイクロペイメントが実現していたら、今頃ニコニコで食べている人が表れていたかもしれません。*3

ソフトウェアの世界の話をしましょう。ソフトウェアの世界では、「ニコニコ動画のような箱庭」ではなく、リアルに gnu が存在しています。gnu だけではなく、上記の自由を実現するさまざまな「オープンソースソフトウェア」が存在します。(微力ながら私もオープンソースソフトウェアの開発を行っています。まだほとんど使われてないですけど。。。)

Google も Amazon も上記の自由があったからこそ、生まれえたのです。我々ソフトウェアエンジニアは、システムを開発する際に様々なオープンソースを利用します。おそらく資産価値に直せば、何百億、何千億、あるいはそれ以上の基盤を、無料で使うことができます。こうしたサービス開発に関するコストの低下を「チープ革命*4」というのですが、こうした背景があるからこそ、数人あるいは数十人が数百万人あるいはそれ以上を相手にするサービスを開発することができるのです。

さて、コンテンツの世界はどうでしょうか? ニコニコ動画で、一人の才能から数十万人が目にするコンテンツをあっという間に作れる背景には、コンテンツ開発にかかるコストの「チープ革命」があることがわかります。重ねて言いますが、これはあくまで黙認されているからこそできていることです。

本来、コンテンツ制作にはお金が膨大にかかります。本来、ソフトウェア開発にも膨大にかかります。でも、ソフトウェアの世界には gnu の 4 つの自由すべてを満たしていないとしても、いくつかを満たしていて無料もしくは安価で使用できる基盤が大量にそろっています。それゆえ、ニコニコ動画に動画を載せるような気軽さで、リアルの世界にお金を稼ぎにサービスを展開することができます。コンテンツではこれはできません。

それは、なぜか?

著作権法は関係ありません。ソフトウェアもコンテンツも同じ法律で守られています。

ただ一つ、理由を挙げるとすれば、コンテンツの世界で gnu の自由を得られなかったからです。皮肉にも、ニコニコ動画によって、gnu の自由がコンテンツにもたらす価値の一端を垣間見ることができてしまいました。これを伸ばす世の中にするにはどうすればいいのか、考える時が来ているのではないでしょうか?

*1:[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/07/news012.html:title=こちらの記事参照]

*2:こんなに遅くならないと気付かない私は非常に鈍いですね。

*3:ニコニコの悪は、需要も供給もある世界で、お金を動かす仕組みを作っていないことです。ただ、法律上解決していない問題が多すぎるという問題はあります。

*4:サーバなどの機器のコストダウンの影響も大きいです。機器だけなら、コンテンツ制作の場合も随分コストダウンしているのではないでしょうか?