平凡なエンジニアの独り言 はてなブログ出張所

ピアノをこよなく愛するエセRubyistが適当に書き綴ります

テレビの話になんて触れている暇があったら、ニコニコ動画のビジネスと面白さをもっと語ってくれ

釣る気満々のタイトルなので、ニコニコ動画がテレビの座を奪う日は来ない--ひろゆき氏の分析について釣られてみます。

記事の内容はとてもおもしろかったです。そして、放送(テレビ)がなくならないという意見は賛成です。それに、テレビとニコニコ動画は元にするコンテンツは同じでありながら、その「楽しみ方は」全く異なります。以前の記事でも書きましたが、ニコニコ動画(というかネット)は「参加型」の楽しみ方を膨らませました。テレビも多少は参加型なんですけど、お茶の間を支えるとか雑談のネタになるという意味合いが多く、ネットと比べると浅くその代わり広いのです。エンターティメントに限っても、もたらす利益は全く違うのでテレビとニコニコは置換可能ではないと思います。それ以外の用途も含めれば、なおさらです。

それにテレビのような用途で通信インフラを使ってしまったら他のサービスが育たなくなって、社会的にマイナスです。

では、なぜニコニコ動画がテレビにとってかわるという「誤解」が生まれたのでしょうか。私はコンテンツの流通に問題があったと感じています。以下、MiAUパブコメ案から抜粋です。

著作権者がインターネットで流通させていないのが一因

そもそもコンテンツの違法なアップロードは、著作権者がそのコンテンツを死蔵し、あるいはコンテンツホルダーの都合での市場分割によって、日本でのみ適法コンテンツが流れないといった、日本人の利益に適わない事態があるためである、という例も多いように思います。たとえばApple iTunes Store for Franceで販売されている楽曲が、iTunes Store for Japanでは販売されていない、といった事例が報告されています。このような問題が生じるのは、ロングテール、超流通といった経済的に合理的なモデルに移行できない一部コンテンツホルダーが、前世紀型コンテンツ販売モデルに依存しているためではないでしょうか。

http://miau.jp/1194583961.phtml

テレビは「娯楽の王様」として、コンテンツ配信に多大な役割を果たしてきました。その反面、コンテンツホルダーの怠慢*1によってコンテンツの他の流通経路が育たず、ユーザーの潜在的な需要を満たしきれませんでした。放送では、視聴者からのリクエストや視聴者からのコメントの紹介などといったコンテンツがありますがああいう内容は、通信(ネット)の方が得意かもしれません。(放送でやる意味がないとは言いません。)

さて、これまでコンテンツの流通が未成熟だったために満たせなかった潜在的な要求が通信によって、以前よりもはるかに便利な形で満たせるようになってしまいました。(ニコニコ動画以前からこうした動きはありましたが、ニコニコ動画はより強くそこを意識させました。)このことを過大評価したユーザーが、「通信によって放送は滅びる」と誤解してしまったのでしょう。用いるコンテンツが同じであるがゆえに、その誤解はさらに拍車をかけました。でも、同じコンテンツでも放送と通信では「楽しみ方」が異なるのです。

今のところ、通信の「楽しみ方」はまだ未知数な部分が多く残っていると思います。もちろん、ニコニコ動画の現状を知る上で、ひろゆき氏がビジネスについて触れるのは大変ありがたいことです。でも、もっと「可能性」の話も語ってほしいですね。(あ、でも、煽られて祭りになるとやっぱ危険か。ひろゆき氏ほどの人に鎮火作業ばかりやらせるのもなんだかもったいないなぁ・・・。)

そして、こんな誤解が生まれることについては、もっとブロガーなりなんなりがしっかりとした発信をしていく必要があるのでしょう。よたエントリばっか書いていないで、真面目な話を書いていかないとなぁ・・・。

以上、自戒の念をこめて。

*1:こう書くと酷かもしれません。彼らはそれなりにがんばってきました。